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バーチャルとは
バーチャルリアリティの「バーチャル」が仮想とか虚構あるいは擬似と訳されているようであるが,これらは明らかに誤りである.
バーチャル (virtual) とは,The American Heritage Dictionary 3rd Edition によれば,
「Existing in essence or effect though not in actual fact or form」
と定義されている.つまり,
「実際の事実や形ではないが、本質や効果として存在していること] であり、これはそのままバーチャルリアリティの定義「事実や形は現実そのものではないが、本質的あるいは効果としては現実であること」を与える.
バーチャルの反意語は,ノミナル(nominal)すなわち「名目上の」という言葉であって,バーチャルは決して リアル(real)と対をなす言葉ではない.虚は imaginaryに対応し虚数 (imaginary number) などの訳に適している.因みに,虚像はvirtual imageの誤訳である.触れないというのは,像の性質であって,バーチャルに起因するわけではない.virtual imageはreal imageのようにそこに光が集まったり,そこから光がでるわけではないが,それと同等の効果を有するというわけである.擬似は pseudo であって外見は似ていても本質は異なる偽者である.
仮想はあくまでもsupposedで仮に想定したという意味を表していて,これもバーチャルとは全く異なる概念である.一例を挙げるならば,仮想敵国は supposed enemy であって,バーチャルエニミー (virtual enemy) というのは,友好国のように振る舞っているが本当は敵であるという意味である.バーチャルマネー(virtual money) も電子貨幣やカードのように貨幣の形はしていないが,貨幣と同じ役割を果たすものをいうのであって,決して偽金ではない.バーチャルカンパニー(virtual company) が仮に想定した仮想会社であったならば,そのようなところとは.取り引きができない.従来の会社の体裁はなしていないが,会社と同じ機能を有するので,そこを利用できるのである.明治以来このかたこの言葉を虚や仮想と過って訳し続けてきたのは実はバーチャルという概念が我が国には全く存在しなかったためであろう.しかし,考えれば考えるほどこのバーチャルという言葉は大変奥の深い重要な概念である.バーチャルは virtue の形容詞で,virtue は,その物をその物として在らしめる本来的な力という意味からきている.
つまり,それぞれのものには,本質的な部分があってそれを備えているものがバーチャルなものである.
そもそも人間が人間が捉らえている世界は人間の感覚器を介して脳に投影した現実世界の写像であるという見方にたつならば,人間の認識する世界はこれも人間の感覚器によるバーチャルな世界であると極論することさえできよう.それは,人間の視覚が電磁波のうち光と呼ばれる0.40 から 0.75 μm という極めて限られた領域を検出するに過ぎず,聴覚も空気の振動の内のわずか 20Hz から20kHz というこれまた限られた部分を感知しているに過ぎない.触覚,味覚,嗅覚においてはさらに分解能の低い感覚器によりこの世界を捉えているわけである.人間は科学技術を進展させ,このバーチャルな世界を拡大してきた.ハッブルスペーステレスコープの捉えた宇宙の映像,STM(Scanning Tunnel Microscope)を介して観測した原子の世界はこの宇宙の本質を人間に伝えるのである.人が何をバーチャルと思うかも重要な要素である.つまり人が何をその物の本質と思うかによって,バーチャルの示すものも変わるのであると考えられる.
このように,バーチャルリアリティは本来,人間の能力拡張のための道具であり,現実世界の本質を時空の制約を超えて人間に伝えるものであって,その意味でロボティクス,特にテレイグジスタンスの技術と表裏一体をなしている.
詳しくは、下記を参照ください。
舘 暲: バーチャルリアリティ入門, ちくま新書, ISBN4-480-05969-5 (2002.10.20)
舘 暲・佐藤 誠・廣瀬通孝(監修・執筆),日本バーチャルリアリティ学会編:バーチャルリアリティ学,コロナ社,ISBN978-4-904490-05-1 (2011.1.11)
舘 暲 (監修):よくわかるVR,PHP,ISBN978-4-569-7877-7 (2019.8.13)
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テレイグジスタンスとVRの関係
テレイグジスタンス(telexistence:遠隔存在)とは、遠隔を意味するtelあるいはtele と、存在を意味するexistenceを合わせた造語で、人間が自分自身の現存する場所とは異なった場所に実質的に存在し、その場所で自在に行動するという人間の存在拡張の概念であり、また、それを可能とするための技術体系である。
自分自身が現存する場所と異なった場所は、実空間でも、コンピュータが生成したバーチャル空間でもよく、後者の場合、すなわちバーチャル空間へのテレイグジスタンスは、バーチャルリアリティ(VR: virtual reality)と呼ばれている。また、バーチャル空間が実空間と対応づけられている場合、バーチャル空間を介して実空間にアクセスしたり、実空間にバーチャル空間を重畳させて作業したりできる。これを、拡張型テレイグジスタンスと呼んでいる。拡張型テレイグジスタンスにおて、人間とアバターの距離がゼロになったものが、いわゆる拡張現実(AR: Augmented Reality)である(図1)。
図1 実世界へのテレイグジスタンスとバーチャル世界へのテレイグジスタンス、及び、それらの重なった世界へのテレイグジスタンス
図2に、上記のVRとテレイグジスタンスの関係を別の図式で示す。バーチャルリアリティ空間には、創造されたバーチャル空間と現実と対応したバーチャル空間の二通りがある。創造されたバーチャル空間を使ったVRは、創作やゲーム、エンターテインメントに用いられる。一方、現実世界をモデルとしたバーチャル空間を用いるVRは、教育訓練や設計、あるいは、科学的解明などの目的に使用される。狭い意味でのテレイグジスタンスは、現実空間へのテレイグジスタンスであるが、これに、その空間に対応するバーチャル空間を重畳して利用すれば、拡張型テレイグジスタンスとなる。この場合の距離をゼロにしたものが、いわゆる拡張現実(AR: augmented reality)となる。
図2 VRとテレイグジスタンスの関係図
最近、ARのほかに、複合現実(MR: mixed reality)という用語が使われている。次項で、VR、AR、MRの関係を明らかにしておきたい。
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VR/AR/MRの関係
VR (Virtual Reality)、AR (Augmented Realty)、MR (Mixed Reality) の関係を最初に定義したのは、Milgram、Takemura、Utsumi、Kishinoによる下記の論文である。
Paul Milgram, Haruo Takemura, Akira Utsumi and Fumio Kishino: Augmented Reality: A class of displays on the reality-virtuality continuum, Proceedings of Telemanipulator and Telepresence Technologies. pp. 2351–34, 1994.
論文では、図3に示すように、real からvirtualの連続体を考えて、その中間としてARとAVを位置づけ、ARとAVをあわせてMRと定義している。
図3 reality-virtuality continuum
ここでは、別の試みとして、連続体ではなく、集合でVR、AR、MRの関係を論じてみる。
図4に、その関係を集合で示す。現実空間と、コンピュータの創生したバーチャル空間の二つの空間が存在し、それらは互いに重なり合っている。現実空間の集合(R)を、赤の枠で囲まれた楕円で示し、バーチャル空間(VR空間)の集合(VR)を、青の枠で囲まれた楕円で示している。
図4 VR/AR/MRの関係図
現実空間の集合とVR空間の集合の共通部分(紫色の領域)が、現実空間でもありVR空間でもある複合領域である。一方、一番左の赤の領域が現実空間のうち、VR空間を一切含まない、純粋現実空間であり、一番右の青の領域が、VR空間のうち現実空間を一切含まない、すべてをコンピュータグラフィクスで創生した純粋バーチャル空間である。
紫で示す領域では、現実空間とVR空間が混在しているが、その混在の仕方には二通りある。一つは、現実空間にバーチャル空間を加えるもので、現実空間をバーチャル空間で補強し拡張することから拡張現実(AR: augmented reality)と呼ばれている。紫の領域の左半分がそれにあたる。
もう一つが、VR空間に現実空間を加える、拡張VR(AV: augmented virtual reality)である。VR空間に現実のシーンや人物などを加えてバーチャルリアリティを充実させるため拡張型のバーチャルリアリティになっている。紫の領域の右半分がそれにあたる。
このARと拡張VRであるAVの二つをあわせて複合現実(MR:Mixed Reality)といっている。図では、紫の領域のすべてである。MR=AR+AV が成り立つ。ここで、+は、和集合を意味する。
従って、MR(紫の領域)はARを含む。しかし、純粋VR空間(青の領域)を含まないので、VRのすべてを含むわけではない。逆に、前述のように、図の青い枠で囲まれた楕円全体がVRにあたるので、VRはARもMRも、含んでいるのである。そのため、日本バーチャルリアリティ学会(VRSJ)では、MRやARなど、それらのすべてを、VRと総称している。
一方、VRの意味する範囲が広いので、VRのなかでも、現実空間を含むものであることを強調したいとき、MRと呼び、MRのなかでも、現実空間に機軸をおいていることを強調したいときにARと呼ぶのである。
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VRの3要素
「バーチャルとは」の項目で述べたように米国継承英語辞典(The American Heritage Dictionary) の第3版では、バーチャルとは、「existing in essence or effect though not in actual fact or form」と定義されている。つまり、「みかけや形はそのものではないが、本質あるいは効果としてはそのものであること」である。表層的な部分は、みかけ、外観、名目、名前などであり、一方、本質的な部分は、効果、作用、機能、実質と考えられるので、「みかけや名目はそうではないが、効果としてあるいは実質的にそうである」という意味であり、形容詞なので、○○という名詞を修飾してバーチャル○○となった場合、「みかけや名目上○○ではないが、効果としてはあるいは実質的には○○」というようにすれば、わかりやすい。
例えば、クレジットカードや電子決済を意味するバーチャルマネーは、「みかけは、お金ではないが、効果としてはお金」ということである。バーチャルマネーが、それが仮想のお金とか擬似的な貨幣=偽金であったなら、誰も使いはしない。バーチャルマネーとは、電子決済などの電子マネーやプラスティックマネーと呼ばれる、クレジットカードなどのことで、電子貨幣やカードは、貨幣の形はしていないが、貨幣と同じ役割をはたすので、バーチャルなのである。バーチャル○○の、○○にリアリティ、つまり現実をあてはめると、バーチャルリアリティ(VR)は「みかけは現実ではないが、実質的には、現実であること」となる。あえて簡単に一言でいえば「現実のエッセンス」がバーチャルリアリティであって「抽出された現実」である。
このように、VRは、現実の本質を有するものであるが、さらにいえば、本質というのは、決して絶対的なものではない。本質は、何を目的としているかによって、それぞれちがってくるものである。 現実世界を近似しつくして、すべての要素を持てば、それは現実そのものになるわけだが、一般には全てを持つわけではないし、その必要もない。すべての要素のうち、その目的にとって重要な要素、すなわちエッセンスだけを抽出したものがバーチャルリアリティとなる。そのように考えると、次にくる問題は、目的によって異なるというその重要な要素とは何なのかという問題となる。
例えば「バーチャルヘリコプター」が、操縦士のトレーニングを目的とするものであればそれは、飛行機などのフライトシミュレータがそれにあたる。また、ヘリコプターに乗っている感覚を味わい楽しむためのものとすれば、それはゲームマシンのようなものになるのかもしれない。輸送が目的であれば、気球のようなものもバーチャルヘリコプターといえる。このように、目的に合致した現実のエッセンスを有するものが、バーチャルリアリティなのである。
このVRの最も特徴的な点はつぎのとおりである。すなわち、コンピュータの生成する人工環境が(1)人間にとって自然な3次元空間を構成しており、(2)人間がそのなかで、環境との実時間の相互作用をしながら自由に行動でき、(3)その環境と使用している人間と環境とがシームレスになっていて環境に入り込んだ状態が作られているということである。これらをそれぞれ、「3次元の空間性」、「実時間の相互作用性」、「自己投射性」と呼び、VRの3要素をなす。つまり、この3要素すべてを兼ね備えたものが理想的なVRシステムである。次にこの3要素について少し説明しよう。
「3次元の空間性」とは、コンピュータが生成した立体的な視覚空間、立体的な聴覚空間が人間の周りに広がることである。ディズニーランドなどで見る3次元の映画などは、この要素を備えている。しかしこの場合は、別の角度から見ようとしたり、物体の後ろに回り込もうとしたりしても、それはできない。まして、見ている物体を触ったり別の場所に動かしたりすることなどできない。つまり「実時間の相互作用性」が欠けているのである。一方、家庭用のコンピュータゲームでは、物体との実時間の相互作用はあるが、目の前のディスプレイをみているだけで、自分が包まれるような3次元空間は利用できない。まして、自分とコンピュータの生成した環境とが深さ、方向いずれにおいても矛盾なくシームレスにつながって、あたかも自分が環境に入りこんだような状態を実現する「自己投射性」は存在しない。
この自己投射性を簡単に説明してみよう。実は人間は眼を瞑っていても自分の身体がどのような形をしているかが分かっている。これは、体性感覚や平衡感覚というような自己受容感覚によっている。通常我々が経験している実空間ではこの自己受容感覚と眼や耳で観察する空間の視聴覚情報とが一致しているわけである。例えば、眼を瞑った状態で自分の手があると思った位置に、眼を開けて見るとちゃんとそこに自分の手が見えている。実はこのように人間の異なる感覚モダリティ(modality)間に矛盾のない状態が現実空間の特徴である。コンピュータが生成した人工環境のなかでもそれを矛盾なく実現するのが「自己投射性」なのである。
このようにVRとは、これら3要素を有したシステムを構成して、人間が実際の環境を利用しているのと実質的に(バーチャルに)同等な状態でコンピュータの生成した人工環境を利用することを狙った技術なのである。そして、これらの3要素はテレイグジスタンスのシステム要件でもある。つまり、この3要素により、人間がその場にいなくとも、その場に存在するのと実質的に(バーチャルに)同等な状態で分身ロボットの存在する遠隔環境が利用できるのである。
上記の3要素はシステムとしての要件を表現しているが、使う側の人間の立場に立った要件に読み替えると、それぞれ、自己定位感(self-location)、行為主体感(agency)、身体所有感(ownership)の3要件になる。
自己定位感とは、その人が今位置している新たな場所に明確に存在していると認知することである。自己の位置定位による位置認識は一人称視点の視覚が支配的であるため、VRやテレイグジスタンスでは、アバターやアバターロボットの視点からの映像を使用者の頭部運動に連動させ、使用者に違和感のない一人称視点の提示を行っている(等身大三次元空間に対応)。行為主体感とは、ある身体の運動、およびその運動によってなされた行為が、自分自身によって行われているという感覚である。すなわち、この感覚を得るには「自身の行為による結果予測」と「実際にその行為をしたことによる結果」とが合致している必要がある。VRやテレイグジスタンスでは、使用者にアバターやアバターロボットを時間遅れや位置ずれを感じさせずに追従させている(実時間相互作用に対応)。身体所有感とは、己の身体が自己のものであるという感覚であり、ラバーハンド錯覚(Rubber Hand Illusion)はこの感覚に関する錯覚現象である。身体所有感を生じさせるためには、使用者の物理的な身体とアバターやアバターロボットの身体間の身体図式を一致させる必要がある。VRやテレイグジスタンスでは、使用者がアバターやアバターロボットへの身体所有感を感じるように、視覚と深部感覚等の自己受容感覚で得られる情報とに矛盾を感じない工夫がされている(自己投射に対応)。
自己の位置定位、行為主体感、自己所有感は、VRとテレイグジスタンスで担保しなければならない重要な要件であり、これらの3要件を担保することで、バーチャルアバターやアバターロボットを自分の新しい身体として感じ、VR空間や遠隔環境で、その身体を自分の新しい身体としての行動が可能となるのである。
なお、テレイグジスタンスでは、それらに加えて、アバターロボットを自分の身体として行動しつつ、その状態で自分自身を見たときに、いわゆる幽体離脱感覚あるいは体外離脱感覚(out-of-body sensation)が生じる。これはVRにはないテレイグジスタンス特有の現象である。
図5 バーチャルリアリティとテレイグジスタンスの三要素
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VRと人間の認知機構
バーチャルリアリティ(VR)は、それがそこにない(現前していない)にもかかわらず、観察する者にそこにあると感じさせる(同一の表象を生じさせる)ものである。それではなぜ、現前しないにもかかわらず同一の表象を生じさせられるのであろうか。それにはまず、人間が現実というものをどうやって認識しているかを知ることが必要である。実は、人間が現前している対象を認識している際にも、物自体を意識しているわけではなく、カントが「悟性のアプリオリな(先験的な)形式」と呼んだ、人間の認識機構の仕組みにより、時間的・空間的に制約されている感覚の世界に物自体が立ち現れた姿、すなわち現象を認識しているにすぎないということである。
つまり、そもそも人間が捉えている世界と思っているものは、実は人間の感覚器を介し、かつ人間の認識機構のアプリオリな仕組みにより認識され、脳に投影された物自体の写像にすぎないとうことができる。その見方に立つならば、人間の認識する世界はこれも人間の感覚器による一種のバーチャルな世界であると極論することさえできるのである。例えば、人間の視覚が電磁波のうち光と呼ばれる0.40~0.75μmというきわめて限られた領域を検出するにすぎず、聴覚も空気の振動のうちのわずか20~20,000Hzというこれまた限られた、ごくせまい部分を感知しているにすぎない。触覚、味覚、嗅覚においてはさらに分解能の低い感覚器にたよってこの世界を捉えているにすぎないわけである。色を例にとってみよう。自然の色そのものを使わなくとも、RGB(赤緑青)を担うそれぞれの錐体細胞に、自然の色とスペクトルが異なる光を用いて本物と同一の発火パターンを励起させれば、まったく同じ色に見えてしまう。印刷物やテレビなどはまさにこの原理を利用しているのである。実物と同じ色(スペクトル)ではないにもかかわらず、人がそれを見て、あたかも天然色であるかのように再現して見紛ごっているのである。その意味で言えば、我々の身の回りには、印刷物やテレビなどのように、色彩におけるバーチャルリアリティは既に存在し、なじみのあるものとなっているといえよう。
したがって、人間が現前する現実空間から現象空間を得るのと同じメカニズムを利用して、現前しない空間の情報の本質部分を人間に与え、そのことによって現前する場合に生じるのと等価な現象空間を生じさせることも可能なわけである。その場合人間に与える情報は、コンピュータの中に生成された全くクリエイティブな空間の情報であっても良いし、あるいは遠隔に存在するロボットが捉えたその場所の環境の情報であってもかまわない。どちらも現前していない空間であるが、情報をVRの3要素を考慮して的確に抽出、生成し被験者に与えれば、現前しているのと同等の効果を引き起こしうるのである。後者は特に遠隔の現実と呼びうるものである。また、見方を変えるとこれらは逆に、人間が現前するのとは別の空間に存在するとも考えられる。そしてそれをテレイグジスタンス(遠隔存在)と呼んでいる。つまり、バーチャルリアリティでは人間の周りに別の空間ができあがると考え、テレイグジスタンスは、自分の方が別の空間に移動したと考えるわけなのである。従って、テレイグジスタンスでは、実空間に加えてVR空間へもテレイグジスタンスできるわけである。
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VRの概念と日本語訳
明治以来このかた、バーチャル(virtual)という言葉を虚や仮想と誤って訳し続けてきたのは、決して訳した人が悪いからというのではない。実はある意味でしかたがない選択であったのである。というのは、実はバーチャルという概念がわが国にはまったく存在しなかったからである。しかも、バーチャルの概念は、我が国だけではなく中国にもないのである。そのことは、それを著わす一文字の漢字あるいは二文字の熟語が存在しないことからも明らかである。英和辞書を見ると、必ず、「実物ではないが、実質は」など説明的に定義されている。つまり、バーチャルというものの見方は、東洋にはない極めて欧米的な概念であるといえるのである。それがゆえに、新鮮でありながら、なにか神秘的な、あるいは怪しい響きをあたえ、それがミスリーディングな訳につながってしまう。
そのため、日本で多くの人が何となく感じている、「(実体のない仮想としての)バーチャル」と、ヨーロッパやアメリカで考えている、「(見た目は違うがほとんど実物としての)バーチャル」とは、話している時は何となく折り合っているようでも、実は全く異なっていて、互いに似ても似つかぬ概念を想起しているのであるということをしっかり認識しておく必要がある。そしてこのような危険性について伝えていくことも本著の役割のひとつであると考えている。言葉の概念をしっかりと正確につかんでないと、思い描く内容の食い違いがいつかほころびを生じ、大きな無用の争いを生むことになりかねないと危惧している。
では、いったいバーチャルを何と訳せばよいのだろうか。実は的確な日本語訳がないというのが真実である。虚や仮想も、前述のように、実は、誤りというよりは、むしろ苦し紛れの訳語なのであった。しかも、これらの訳語はあまりにも英語の意味と違いすぎているというよりも、むしろ全く逆の意味なので、多くの誤解を与えてしまう。しかも、その誤解は、うっかりすると国際的な紛争の引き金ともなりかねない危険さえも孕んでいるということは先に述べたとおりである。
従って、バーチャルリアリティは、そのままカタカナで表記したりVRと略語で標記するのがよいと思う。もしどうしても日本語に訳したいというのであれば、「人工現実感」という言葉がよいであろう。訳というより、実際のつくりを表しているからである。ほかに使われている、バーチャル○○という言葉も、バーチャル物体、バーチャル環境あるいは、VR物体、VR環境など、バーチャルを無理に訳さず表現する方法がお勧めである。
また、将来的には、などの新しい国字をつくり、日本語を正確かつ豊かにしてゆくことも考えられる。なお、は、立心偏に實(実の正字体)と書き、「ジツ」または「ばーちゃる」と読み、バーチャルリアリティは、現実と表せる。
図6 バーチャルの国字の提案