IVRC

IVRCは、1993年から始まった学生の学生による学生のためのバーチャルリアリティコンテストで、その呼称は、1993年当初はInter-collegiate Virtual Reality Contest、2004年からは International collegiate Virtual Reality Contest、そして2020年からは Interverse Virtual Reality Challengeと時代のともに変容していますが、IVRCという略称とその精神は変わっていません。実行委員長は、1993年から2019年の間、舘 暲たち すすむ(現在:東京大学名誉教授)が務め、2020年からは、稲見昌彦(現在:東京大学教授)が務めています。1993年の発足当時にIVRCに参加した当時の若者たちは、IVRCを礎として研鑽し、30年になろうとする年月が過ぎた今、知命すなわち数え年50歳を迎えた責任のある立場の大学教授や会社の役員として、また信頼できる技術者、現代を牽引する芸術家として、あるいは躍進する起業家や経営者として国際的に羽ばたき活躍しているのです。

以下の記載は、下記の文献によっており、また、記載に際して敬称は省略してあります。

[1]舘暲 : バーチャルリアリティ(VR)コンテストはいかにして生まれたか, 日本バーチャルリアリティ学会誌, Vol.8, No.4, pp.34 (2003.12)

[2]舘暲 : 日本のVR -「VR 黎明期の記憶」, 日本バーチャルリアリティ学会誌, Vol.11, No.2, pp.85-88(2006.6)

[3]舘暲:日本バーチャルリアリティ学会小史 1990年-2001年: 前史と草創期, 日本バーチャルリアリティ学会誌, Vol.21, No.1, pp.14-23 (2016.3)

[4]舘 暲:IVRC25周年;いままでの25年これからの25年,日本バーチャルリアリティ学会誌,vol.23, no.1, pp.44-48 (2018.3)

[5]舘 暲:IVRC2019開催報告;令和の時代に新たな体制づくりを,日本バーチャルリアリティ学会誌,vol.24, no.4, pp.39-40 (2019.12)

[6]舘 暲:IVRC30年の軌跡,日本バーチャルリアリティ学会誌, vol.28, no.1, pp.  (2023.3)

 

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IVRCはいかにして生まれたか

IVRCが初めて開催されたのは日本バーチャルリアリティ学会(VR学会)設立の3年前の1993 年に遡ります。7 月6 日と7 日の両日、出来上がったばかりの天王洲アイルの柿落として開催された第3 回の「人工現実感とテレイグジスタンス」国際会議ICAT'93 に併設してIVRCが初めて執り行われ成功を収めたのです。

ICAT(International Conference on Artificial Reality and Telexistence)が創始された1991年と翌年の1992年には、学術講演に併せて、VRの製品展示会が開催され好評を得ていましたが、1993年からは、展示部門が独立して、IVR(産業用バーチャルリアリティ展)として大々的に開催されることが決まっていました。.そのような状況下、製品展示会にかわってICATに併設して行うのに相応しくかつ製品展示を上回る価値ある行事はなんであろうかを当時ICATの組織委員長であった舘 暲(当時:東京大学先端科学技術研究センター教授)は、呻吟し熟考した。その結果、舘は、最も価値あることは、次の世代を担う若者を育てることであると確信したのでした。VRが、1992年当時、21世紀にむけての将来の重要なキーテクノロジーであることは、直感的には明白でした。しかし、そのことが客観的に実証されるためには、何よりもそれが次世代を担う若い世代に受け入れられるものでなくてはならない。若い世代が興味を持って、情熱を注げるものでなくては、新しい技術として根付いて行けない。舘は、そう確信したのです。

そのような観点から、学生対抗のバーチャルリアリティコンテストはまさに格好の企画であると思われました。そこで、舘が、ICATの組織母体である日本工業技術振興協会の石川信治と日本経済新聞社の帰山健一に、製品展示会に代わるものとして、コンテストを提案したところ大いなる賛同が得られたのでした。そのあとの具体的な内容は、当時、舘の研究室の助手を務めていた前田太郎(現在: 大阪大学教授)とのディスカッションにより練りに練られ、当初の目的である、「学生の,学生による,学生のためのコンテスト」が実現したのです[1-3].その成功を弾みとして1994年と1995年は同じ体制,すなわち日本工業技術振興協会「人工現実感とテレイグジスタンス」研究会主催で日本経済新聞社の支援のもとでICATに付随して開催されました。

 

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IVRC創設の精神

1990年代の当時は,VRの機器は極めて高価で,学生がそう簡単に購入して利用できるものではありませんでした。従ってソフトで勝負するような土壌はなく、ハードからソフトまでのすべてを一から作り出すということが求められました。それを考慮して、大会には、学生対抗「手作り」バーチャルリアリティコンテストというように「手作り」の文字が冠されていました。そして、ものづくりの要素を深く持つこのコンテストの色合いは、安価な機器が溢れる現在でも伝統的に残っており、このコンテストが最も歴史が長く、かつ多くの人材を輩出しているという特徴に加えて、本コンテストを他の類似のものと差別化する特徴になっているのです。

さらにもう一つの特徴は、技術に加えて芸術を重視した点です。Artは芸術を意味するが技術という意味もあることから分かるように古くは同じものでした。技術と芸術が分かれて久しいのですが、IVRCではその当初からそれらの新し統合をも目指していたのです。そのことは、IVRCの発足当時には、技術賞と並んで芸術賞があり、それらの総合としての総合優勝があったことからも明白です。現在は、芸術賞という呼称は残っていないものの芸術分野の審査員も多数加わっており、その伝統は受け継がれているのです。

 

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岐阜県との共催をへて VR学会主催へ

1996年5月27日のVR学会設立にあわせて、ICATとIVRCの主催が名目上はVR学会に移行しましたが、実際の運営は従来通りの体制で行われました。1997年になって、コンテストを支援する機関が日本経済新聞社から岐阜県へと移行したことに伴い、コンテストの決勝大会は岐阜の各務原での開催となりました。IVRCといえばVRテクノプラザが自然と想起されるまで、岐阜とIVRCは12年にわたり深い関係にあったのです(図1)。2009 年になって、岐阜県がIVRCの共催を継続できなくなり、IVRCはVR 学会の単独主催となりました。

図1 岐阜での最後の大会懇親会後の記念撮影 (2008年10月21日)

 

ここで,事務局体制について纏めておきます。1993年から1996年までは、工業技術振興協会、1997年から2002年までは、イメージ情報科学研究所(イメラボ)が事務局を務め、2003年から2014年までは、VR学会に事務局が移り、2015年から2019年までは、リアリティメディア研究機構が事務局機能を担い、2020年からは、再びVR学会に戻っています。

 

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SIGGRAPHとLAVAL VIRTUALとの共創

IVRCでは、2001年からはSIGGRAPHへの出展投稿サポートを行い、多数のIVRC作品がE-TECHに採用されていました。更に、2004年からIVRCのBOF(Birds Of a Feather)をSIGGRAPH会場内で開けることになり、記念すべき第1回BOF on IVRCが2004年8月12日に催されました。一方、2003年大会よりフランスで開催されるLaval Virtualの学生コンテストへのシード参加権が贈られるなど国際化の下地が出来上がり、2004年5月14日にLaval Virtual での正式な日仏のコンテストの相互協力協定「Agreement on International Cooperation in Virtual Reality and Augmented Reality」の締結がなされました(図2)。これらを受けて正式に2004年の大会からInternational-collegiate Virtual Reality Contest すなわち、国際学生対抗バーチャルリアリティコンテストに名称変更を行ったのです。この協定は3年ごとに更新し現在も続いています。

図2 LAVAL VIRTUALとの国際協力協定調印(2004.5.14)

 

また、2010年から2012年までの間、米国カーネギーメロン大学(CMU)のETC (Entertainment Technology Center) との国際協定が結ばれ、その輪を更に世界に広げることとなりました(図3、図4)。しかし、この協定は2012年でCMUの組織が大幅に変わったためとぎれてしまっていましたが、その後は国際部門を設けるなどして応募を募り、国際化をさらに進める努力を継続してきました。

図3 CMUとIVRCとのパートナーシップの約束を交わす(2010.8.20)

 

図4 CMUとIVRCとのAgreement の調印(2010.8.24)

 

2020年からは、 Interverse Virtual Reality Challengeと改名し、国際の名称が無くなったのですが、国際化への努力はなお継続されています。メタバースによる居場所を超越した大会に発展する可能性を期待したいところです。

 

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川上記念賞

このような進展をみたIVRCではありましたがこの間悲しいこともおきました。1993年に第1回大会の総合優勝を飾った東京工業大学のチームの主力メンバーとして活躍し,その後も企画委員また実行委員としてIVRCの発展に貢献するとともに,バーチャルリアリティの研究者としても,これからを嘱望されていた東京大学の川上直樹講師(当時)が2009年9月21日に早世されたのです。余りにも急な出来事であり皆言葉を失いました。実行委員会では、川上直樹のバーチャルリアリティへの貢献と情熱を永く記憶として残すべく「川上記念賞」を2009年から設けました。

 

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ユース部門

2012年の第20回大会から2019年の第27回大会まで、予選大会をVR学会の大会行事として行うとともに、高校生・高専生を対象としたユース部門を設置しました。IVRC発足当時は、サークルに属する大学の学部生が中心であった出場者が、研究室に属する大学院生中心に変わってきており、その内容が高度になって新規参入のハードルが高くなっていました。そこでIVRCの原点に戻り、より広い層の人にVRに興味を持ってもらい、さらには参加してもらいたいとの思いあから、20回の節目を機にユース部門を設置することになりました。始めてみると一般部門に比べても見劣りのしない作品が生まれ、大学推薦入試などにも利用されだしていました。しかし、2020年からの改組で一旦ユース部門が廃止されることになりました。今後の何らかの形での復活が期待されます。

 

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2020年からの新体制への移行

2020年1月20日(木)10:00-12:00 東京大学工学部6号館大会議室で行われた2019年度の第5回実行委員会に於いて,舘からIVRCの新体制への移行案が提案され満場一致で決議されました。1993年にIVRC を創ってこれまで育ててきた世代から、1993年以降IVRC に学生として参加して以降運営にも深く関わってきた世代へ、バトンが受け渡されたのです(図5)。新しい体制のもとIVRC という船の舵取りを次世代に引き継ぎ、次の時代の荒波に新たな船出をして、これからの時代を先導しうる有為な人材を育ててゆく時がまさに来ていたからです[5]。以来,新体制で名称も一新しシステムも大きく変えて既に3回のIVRCが成功裏に開催されています。https://ivrc.net/2023/

図5 舘 暲(実行委員長)、岩田洋夫(副委員長・審査委員長)、武田博直(副委員長)、前田太郎(審査)の従来の体制から、 稲見昌彦(実行委員長)、長谷川晶一(副委員長)、梶本裕之(副委員長)、野嶋琢也(幹事)、南澤孝太(幹事)、安藤英由樹(審査委員長)の新体制に移行した(2020.1.20)