臨場感と存在感

舘 暲・佐藤 誠・廣瀬通孝(監修・執筆),日本バーチャルリアリティ学会編:バーチャルリアリティ学,コロナ社,ISBN978-4-904490-05-1 (2011.1.11)

| 臨場感と存在感とは何か | 存在感は何から生じるか |

臨場感と存在感とは何か

実際その場に身をおいているような感覚を「臨場感」と呼んでいる。あたかもコンサートホールにいるような感覚で聞けるステレオシステムなどが、臨場感のあふれるシステムと呼ばれた。聴覚の臨場感である。バーチャルリアリティやテレイグジスタンスは、コンピュータの生成した空間や遠隔の地へ、自分が訪れたような臨場感を、そのシステムの使用者に提供する。臨場感は、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、平衡感覚など、すべてが、揃うのが理想であり、バーチャルリアリティやテレイグジスタンスでは、臨場感を究極的に高めるための研究がされている。

このように、臨場感というのは、ステレオや電話など人工的な音場や、遠隔の音場の再生や伝達の装置が生み出され、また、映画やテレビ、テレビ電話などの視覚情報の再現や伝達のためのシステムが生み出されてから使われだした言葉であり、その臨場感は、そのシステムの使用者が感じる感覚である。

一方、「存在感」という感覚も存在する。存在感は、人や物が確かな存在であると感じる感覚のことである。これは、もともとは、電話やステレオや映画がなかったころからも利用されていた言葉である。「あの人は存在感がない」などの実世界での用例は枚挙に暇が無い。つまり、実体としては存在しているにも拘わらず、周りの人が、その人の存在に気がつかなかったり、その存在が無視できなかったりする場合がある。また、一方、実体の物理的な存在以上に、その人の存在が気になる場合に存在感が大きくなり、「あの人は、存在感がある」などといわれる。

実世界だけではなく、テレビ会議の普及とともに、テレビ会議で画面に映る人の存在感のなさが問題となりだした。もともと実体としては存在しないわけで、存在感がないのは当然ではあるが、なぜ映像と音声だけでは存在感が創出できないのかが疑問となる。バーチャルリアリティやテレイグジスタンスには、臨場感だけではなく、テレビ会議で失われる存在感を創出し、究極の存在感を追求することが求められている。

テレビ会議システムを例にして、臨場感と存在感を説明する。図1に示すように、会議場に大型スクリーンがあり、1名がその遠方からその会議に参加している。遠方から参加している人は、その会場に設置されたカメラの映像を、その人の居る場所に置かれたモニターでみる。現在のシステムでは2次元であり、その場に居るような臨場感はないものの、ある程度の臨場感が得られる。これが、臨場感で、遠方からのシステム使用者の感じる感覚である。一方、会議室に集まった人たちは、スクリーンを見て、遠隔からの参加者を歓迎し、その時は、皆が注目する。その時点に於いては、ある種の存在感が生まれる。しかし、議論が、会議場に直接集まった人同士で白熱してくると、なぜか、スクリーンの人は忘れさられる。この状態では、存在感が極めて希薄となる(図2)。

図1 最初は注目する。
図1 最初は注目する。

 

図2 すぐに忘れ去られる。
図2 すぐに忘れ去られる。

 

整理すると、臨場感は、システムの使用者が感じる、生成された環境や、遠隔の環境に身をおいているかのような感覚を有することであり(図3)、一方、存在感は、そのシステムを直接利用している人が感じる感覚ではなく、そのシステムを利用している人の周りの人が、そのシステムを利用している人に対していだく感覚である(図4)。

図3 臨場感:システムの使用者が、その場に身をおいているように感じる感覚
図3 臨場感:システムの使用者が、その場に身をおいているように感じる感覚

 

図4 存在感:周り<p> </p>
の人が、システム使用者の存在を感じる感覚
図4 存在感:周りの人が、システム使用者の存在を感じる感覚

 

| 臨場感と存在感とは何か | 存在感は何から生じるか |

存在感は何から生じるか

それでは、存在感は、何から生じるのであろうか。実世界に於ける存在感を例にとると、基本的に、周りにいる人に何らかの影響を与える可能性の大きいものほど存在感が高い。インタラクションの可能性の程度や効果の高いものほど存在感がある。床の上に安定して置かれている石と、目の前に今にも転げ落ちそうに置かれている石では、後者が存在感が高い。すずめ蜂や毒蛇やライオンが目の前にいれば、存在感が高い、大きな音を出したり目立つ色をしていたり動き回るものは、やはり存在感が高い。静かでも存在感がある人も、威厳やオーラが感じられる。それら、すべて回りの人が、その存在によって、危険を感じたり、怖かったり、逆に楽しかったり、何かためになったり、インタラクションがおきて影響を受ける可能性を感じ、それが存在感を引き起こす。

テレビや映画で存在感を感じる以上に、ライブや芝居で存在感を感じるのは、今にも、見ている人と、接触する可能性が感じられるからである。巨漢の相撲取りが転げ落ちてくる可能性のある相撲の桟敷で観戦するのと、大画面テレビで観戦するとの存在感の差は歴然としている。

メディアで存在感を創出するためには、多視点対応の完全な立体感覚、匂いなど今の映像にないものを作り出すことが重要であることは言うまでもないが、加えて、そのものとの直接のインタションが起こる可能性、特に、危険を感知できる仕組みが必要である。その意味で、現在、足りない感覚のうち、触覚は、存在感の創出に貢献する可能性が高い。しかし、実際には接触が起きなくとも存在感はあるのである。あえて片言すれば、怖いもの危害を及ぼす可能性に高いものほど存在感があるのであり、その観点からの存在感創出も緊要である。